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刀剣乱舞で有名な太刀一期一振(現皇室御物)の概要 相続はどうなる?

2019/05/15
 
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歴史とデジタルガジェットが大好き民。 登場キャラクターに歴史上の人物がいればゲームも手当たり次第にプレイしてしまう。 ブログ作成のお供はpomera DM200。DM30もちょっとほしいと思ってる。 鞄についているマグネットフックが天敵。

新元号で新たな年が始まりました。
新天皇即位に伴い、三種の神器も新天皇に受け継がれました。
つい最近のネットニュースでは『三種の神器は特例で非課税』というのをみて、相続税がかかるのかという驚きと他にどんな宝物(御物)があるのか気になりました。

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皇室御物の相続

刀剣乱舞で有名な太刀一期一振も現皇室御物の一つですね。これの持ち主は新天皇である今上陛下なのですが、もし相続税の対象となった場合、皇室の持ち物ではなく国の物の扱いとなり三の丸尚蔵館に移動することになります。
幸いにもこの太刀は御由緒物の一つで毎年10月17日に実施される宮中行事神嘗祭の際に使用されることから今後も相続税の非課税財産として整理されるのではないかと思います。
現皇室所蔵の太刀はいくつかありますが本日はこの中の一つ一期一振について書いていこうと思います。

 

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皇室御物 一期一振

太刀 額銘 吉光
長さ 2尺2寸7分(刃長68.8cm)
作者 藤四郎吉光

一期一振は大変有名な太刀です。その遍歴は皇室御物となるにふさわしく非常に華麗です。
名のある大名や将軍家を渡り歩いたのちに現在に至ります。
江戸時代の『享保名物帳』には名物と記され刀剣の中でも一流の品であったことがわかります。
作られたのは、鎌倉時代中期の刀工粟田口吉光、通称藤四郎です。
吉光はたくさんの短刀を作る名工として知られましたが、その吉光が唯一鍛えた太刀がこの一期一振です。
其れゆえに一期一振の名がついたと言われています。
しかし、実際には藤四郎吉光の太刀は数本確認されており、生涯最高の一作という意味で一期一振の名がついたのではないかという話もあります。
いずれにせよ、名物であることには変わりなく天下人も放っておくことはなく秀吉家康の手に渡り、やがて幕末に皇室に献上され今に至るという波乱万丈な刀でもあります。

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作者 藤四郎吉光

藤四郎吉光は粟田口派の刀工です。
粟田口派は鎌倉期に京の粟田口に開いた刀工の一派です。藤四郎の曽祖父が開祖で大叔父たちは後鳥羽院御番を務めるなど非常に高いスキルを持っていたようです。
(ただこの曽祖父は刀が残っておらず実質的にはその子である6人兄弟が開祖であるとも言われています)
粟田口派で有名なのは藤四郎吉光ですが、大叔父たちや兄弟の刀も非常に素晴らしい出来です。彼には一流の刀工になる師匠が沢山いたということなのでしょう。
彼は鍛冶だけでなく、弘誓院流の書にも通じていたそうで、その美しさは銘を見ることで分かると思います。
時代が下り江戸期には三作の第一に上げられるほどで皆がこぞって求めたとされ、大名のみならず裕福な商人が持っていた藤四郎の刀もあるほどですのでその人気の高さがわかります。
現在でも御物が二振り、国宝は四振りあるなど現代においても名声をほしいままにする刀工でもあります。

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多数ある来歴

一期一振は鎌倉時代で打たれてから戦国期に至るまでどこにあったかは分かっていません。
戦国前期になって朝倉氏が所有していた。
本阿弥祐徳が堺の商人から銀三十枚で買い取ったがその後豊臣秀吉に金十枚で召し上げられた。
毛利氏が所有していたが豊臣秀吉が天正18年9月18日に毛利邸に来た際、毛利家から献上された。
の三説があります。
朝倉氏にあった説はそれ以上の記述がないようですが、堺の商人からという説と毛利説はいずれも秀吉の手に渡るとなっています。

豊臣家に収められたのちは目貫と笄は豪華な細工に取り替えられ、同じ藤四郎吉光作の骨喰藤四郎と共に『一之箱』に丁寧に納められ大切にされたそうです。
また秀吉の息子秀頼に相続され大坂夏の陣では具足と共に一期一振をさしたという記述も残っています。

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焼身(やけみ)と再刃(さいは)

知っての通り、この大坂夏の陣で大坂城は燃え落ちてしまいます。その余波を受けて多数の名物も燃えてしまいました。
一期一振も焼身となり、名刀を惜しんだ徳川家康は再刃の名工越前康継に再刃を命じ、他の刀共々今日にみえる美しい刀身を復活させますが、再刃をすると強度が低下する傾向があるそうで美術的価値が損なわれることはないものの刀本来としての役割が果たせなくなってしまいました。
また再刃の際に刀身が削られて短くなってしまったという話と、秀吉が太刀が大きすぎることから自分の身長に合わせる為に削らせたという話もあり、どちらにせよ元来の大きさからは短くなってしまったようです。
家康から御三家の一つ尾張徳川家に形見分けとして譲られ大切にされますが、幕末の文久三年に尾張藩主徳川茂徳から孝明天皇に献上され、これ以降は皇室御物として大切にされます。


名工の手で作られ名だたる天下人や大大名の手に渡ったと考えますと非常にロマンを感じますね。
もし毛利説が本当なら毛利元就の頃にもあったのでしょうか?小大名から大大名になっていく毛利を見ていたのかな?とか、朝倉盛衰を眺め、その後どんな人の手を経て秀吉に至ったのかと考えると止まらなくなりそうです。
一時は焼ける目にあってもちゃんと残って今も祭事で使われているなんてとても素敵なことだと思います。
ずっと大切に残ってほしい貴重な刀ですね。

 

参考元:日本刀大百科事典

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