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刀剣乱舞「南海太郎朝尊」実装(武市半平太所有)読み方も

2019/05/15
 
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歴史とデジタルガジェットが大好き民。 登場キャラクターに歴史上の人物がいればゲームも手当たり次第にプレイしてしまう。 ブログ作成のお供はpomera DM200。DM30もちょっとほしいと思ってる。 鞄についているマグネットフックが天敵。

ついに刀剣乱舞にて武市半平太所有の刀である南海太郎朝尊が実装されました。読み方や南海太郎朝尊の詳細について書いていきます。

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武市半平太(瑞山)と南海太郎朝尊

岡田以蔵が手にした肥前忠広は代々伝わったものですが、この南海太郎朝尊は武市半平太(瑞山)の佩刀となります。
ただ、逸話としてはあまり濃いものはありません。
『維新土佐勤王史』によれば、岡田以蔵が先に宿毛(現在の高知県宿毛市)という場所にきて半平太(瑞山)はそれから遅れて九州から宿毛に立ち寄りました。
以蔵はしばらく宿毛に滞在し宿毛の人々に剣術を教え、半平太は数日滞在し『南海太郎朝尊』の新刀を購入した。とだけあります。
半平太もいくつかの剣術に精通しているのですが剣豪としての話はなく半平太とこの刀の話はこれだけです。
ただ宿毛には彼が富士の絵を残してくれた、書簡のやり取りをしたなどの話も残っております。
今回の刀剣乱舞で実装された刀、『南海太郎朝尊』は半平太との逸話の少なさもあってか、その刀工南海太郎朝尊の逸話を色濃く映した刀剣男子となっています。

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刀工 南海太郎朝尊とは

南海太郎朝尊は、なんかいたろうちょうそんと読みます。

江戸時代後期の刀工で1805(文化2年)-1865年(慶応元年4月7日没)と生年のはっきり残っている人物です。姓は森岡、通称は友之助。
号の『南海太郎』はおそらく彼の生誕地の近くに居を構えた画僧南海からとったものであろうと言われています。
「山城国西陣住朝尊」「平安城住朝尊」「一城堀川住朝尊」などの銘も切っています。
刀工でありながら学者としても著名で「新刀銘集録」「宝剣奇談」「刀剣五行論」などを著しました。
土佐の生まれで、京の伊賀守金道、江戸で水心子正秀(川部儀八郎)の許で学びました。
京に出るきっかけとなったのは左行秀という刀工に藩工の役職を取られ、再起をはかったのではないかとの説がありますが、左行秀が土佐に来たのは朝尊の上京より10年以上の後のことなので関係がなくおそらく箔付けのためについた逸話でしょう。
その経験は無駄ではなかったようで、彼の打つ刀は大変すばらしいもので今日では刀剣界では有名な刀工です。しかしながら現存の刀は非常に少なく貴重とのことなので、コレクターの方は目の色を変えて探されるのではないでしょうか。
水心子正秀は大慶直胤、源清麿と並ぶ「江戸三作」と称される名工で、新々刀の祖として知られています。
中でも古刀を愛しその再現を目指していた人で、ある日朝尊が自分の刀は折れることはないと豪語していたが正秀は折ってみせました。
しかしそれは自信家の朝尊の鼻っ柱を折るために前夜刀に細工していただけで当然折れやすくなっていました。笑って種明かしをする正秀に朝尊は思うところがあったのか以降大いに奮起したようで沢山学んだようです。
その甲斐あってか刀のみならず3冊も書を残し大成した朝尊でしたが、子も孫も早死に、または養子にいくなどしたので無縁同様となり墓はおろか目印になるものもなくなってしまっていました。
一族の者が27年後に碑を建てたようだがこれは墓ではなく供養塔として建てただけであり、刀工としての功績を思えばなんとも物悲しいものです。
直系が絶えていなければ数多くの刀も残っていたのではないかと思うと残念でなりません。

参考元:日本刀大百科事典

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他にも、、、

岡田以蔵が手にした肥前忠広はこちら

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