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刀剣乱舞「文久土佐藩」 にて匿名調査イベント第2回目実施中

2019/05/15
 
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歴史とデジタルガジェットが大好き民。 登場キャラクターに歴史上の人物がいればゲームも手当たり次第にプレイしてしまう。 ブログ作成のお供はpomera DM200。DM30もちょっとほしいと思ってる。 鞄についているマグネットフックが天敵。

刀剣乱舞にて岡田以蔵の肥前忠広、武市半平太の南海太郎朝尊が実装されたイベント第2回匿名調査「文久土佐藩」が実装されています。今回はそれについて書いていこうと思います。

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史実と一致するマップ

ステージは3つ。
ゲーム上の地図は実際の古地図と比べると非常に簡略化されていますが、イベントスタート地点は武市半平太の道場跡近くという粋な計らい。
道中は塩平八郎とも交流のあったと言われる儒学者岡本寧浦(おかもとねいほ)の塾跡を超え、坂本龍馬と武市半平太の師である河田小龍(かわだしょうりゅう)生誕の地を通過し、播磨屋橋が最初のゴールです。
2面は板垣退助らが進めた自由民権運動の中心的政治結社の立志社跡近くから高知城下町に進み、岡田以蔵に暗殺された吉田東洋殉難の地や、因縁でしょうか? それを命じた武市半平太殉節の地、現在の高知県立高知城歴史博物館などの周りを巡回しながら高知城入り口を目指します。
そして3面は高知城内ですが城内マップはなく今回は史実を意識して作られたものではありませんでした。
ですが、城下など毎回よく調べて、プレイヤーが進めやすいように作られているなと思います。
幕末や特に土佐好きの方には賽を振りながら思いをはせておられるのではないでしょうか?
ゲーム内にこういうこだわりがあるのは嬉しいですね。

 

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高知城下作った経緯

南北朝~安土桃山期

せっかく刀剣乱舞でスポットがあっているので調べてみました。
古くは南北朝の頃、高知城の全身として大高坂山城(大高坂城)があったとされています。後醍醐天皇の第7子満良親王を迎え細川禅定、佐伯経定と戦いますが敗北し落城。以降は廃城となって打ち捨てられました。
それから日の目をみるのは安土桃山時代、長宗我部元親によって一時期城を築かれましたが、治水がうまくいかなかったようで大高坂山を捨て浦戸城に移ったという記録がありますが、実際に整備が進められていた史料もあることから、整備が終われば移る予定であったと推察されます。
大高坂山を捨て、浦戸城に移ったという記録がは、後に幕末までこの地を治めた山内氏支配下における二次史料に書かれたものなので、小さい浦戸城を拠点にした長宗我部氏に対し、長宗我部氏が御せなかった大高坂山の城を持つ山内氏を持ち上げる狙いもあると思われ疑わしいところがあります。

江戸期以降

関ヶ原の戦いにおいて西軍についた長宗我部盛親が改易となると、東軍についていた山内一豊が遠江の掛川城から浦戸城に転入してきました。
浦戸城は手狭であった為、大高坂山の城を高知城として建設に着手しました。
古くから四国に住まう長宗我部氏にも困難だったこの地に山内氏も苦戦したようで、蟄居処分であった百々綱家を家康に嘆願し雇用しました。百々綱家は近江穴太衆を配下に持っており優れた治水技術と築城技術を持っていたそうです。
難所であった三の丸が出来、高知城の縄張りがすべて完成するまでは約10年掛かったとされています。

高知城は今日数少ない現存天守です。江戸期に大火で追手門以外ほとんどが焼失したり、明治に廃城令を受けたり、昭和に入り高知大空襲で被害を受けたりと受難が続きますが、今日までその美しい姿を残しています。大切にしていきたいですね。

後の追加イベントで高知城内もすることがあればぜひ城内について調べてみたいと思います。

 

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