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令和開始 剣璽等承継の儀と三種の神器

2019/05/11
 
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歴史とデジタルガジェットが大好き民。 登場キャラクターに歴史上の人物がいればゲームも手当たり次第にプレイしてしまう。 ブログ作成のお供はpomera DM200。DM30もちょっとほしいと思ってる。 鞄についているマグネットフックが天敵。

本日、いよいよ令和の御世が始まりました。
平成の天皇陛下は退位され上皇となりますが、まだ平成天皇という称号はつかず、上皇明仁様と呼ばれます。また新しく即位された天皇陛下は今上天皇といわれ令和の名はつきません。
今上という言葉は古く源氏物語でも見られ歴史ある言葉がしっかりと現代に残っていることを示していますね。

さて、退位礼当日賢所大前の儀、退位礼正殿の儀が行なわれ、続いて剣璽等承継の儀、即位後朝見の儀が行われました。
剣璽等承継の儀とは天皇の象徴である三種の神器を受け取る儀式です。本日三種の神器の意義について書いていこうと思います。

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三種の神器の意義

三種の神器というのはその字の如く三つの宝物です。
八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三点です。
それぞれ、伊勢神宮内宮、皇居内剣璽の間、熱田神宮に安置され、形代が八咫鏡は宮中三殿の賢所、草薙剣が皇居内剣璽の間にあります。
崇神天皇の時に鏡と剣は宮中から出され、その形代が皇居内に残ったそうです。
今日には儀礼的なものとなったこの三種の神器ですが皇位継承に関してはこれは大変重要で古来より三種の神器がないと天皇であるとは認められませんでした。
南北朝時代、成立したての室町幕府に保護された北朝側に利はありましたが、三種の神器は南朝側の後醍醐天皇によって吉野へと持ち運ばれてしまいました。
これにより南朝側は「北朝は偽物の朝廷である」と主張し続け、7代も系譜が別れてしまうことになりました。
室町幕府の手で北朝側に三種の神器が渡ったのは三代将軍足利義満の時代であったというのですから、いかに丁重に扱われたかがわかります。

 

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八咫鏡

『古事記』によれば高天原にいる八百万の神々が天の安河に集まり、川上の堅石を金敷にし金山の鉄で作らせたとあり、また、日本古来の神話によれば素戔嗚尊の所業に心を痛めた天照大神が天岩戸に隠れた際、石凝姥命が作った。天照大神が岩戸から顔をのぞかせた時に自身の姿を映し興味を持たせ外に引き出すことに成功した、とありこちらの方が有名ですね。
実物は伊勢神宮内宮にありますが、宮中にあった形代のほうは三度程火事で焼けて、ほどんど灰になってしまい、平安時代の権力者藤原道長が改鋳を支持したが反対が多く実現されなかったとあります。
ということは今でもほとんど灰のままなのでしょうか?
この形代は受難はまだ続き、源氏と平氏の争いの際に安徳天皇と共に海の底に沈みましたが辛くも源氏に八尺瓊勾玉と共に回収され現代にいたります。
南北朝時代この神鏡のみが南朝の手に渡ることはありませんでした。

今回の剣璽等承継の儀ではご神体である為、その場に出ることはありませんでした。

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八尺瓊勾玉

こちらも神話の天岩戸のお話の際に玉祖命が作り、八咫鏡と共に太玉命が持つ榊の木に掛けられ、また天孫降臨の際に神勅を受けた瓊瓊杵尊が天照大神から受け取ったとあります。
それほど由緒のある勾玉ということですね。
こちらの形代が燃えたという記述はみあたりませんでしたがやはり源氏と平氏の争いの際に安徳天皇と共に海の底に沈みましたが箱に入っていた為浮かび上がり、源氏側に回収されたそうです。
こちらは南北朝時代、南朝側に奪われ吉野に行きますが、南朝の後胤である自天王の母の屋敷を赤松氏の遺臣が襲撃し奪取されています。
それから今日まで宮中に保管されています。

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草薙剣

天叢雲剣とも呼ばれ他の神器に比べると何らかの形で耳にしたことがある名前ではないでしょうか。
その成り立ちは非常にドラマティックで神話によれば素戔嗚尊が出雲の国で八岐大蛇を退治したところその尾から出てきた神剣であり天照大神に献上されました。天孫降臨の際に他の神器と共に瓊瓊杵尊に授けられ、やがて形代を作られ伊勢神宮に安置されました。
倭建命が東征の際に伊勢神宮の倭姫命から手渡され、次々と勝利をおさめ、野火に見舞われるもこの剣で薙ぎ払ったことから草薙剣と言われるようになりました。
倭建命はやがて病身となり帰らぬ人となってしまいますが、その剣は伊勢に戻らず尾張の国で妻の宮簀媛が奉斎し熱田神宮を建てたとあります。
時代は下り源平合戦の際は平氏側に持ち去られ壇ノ浦に沈み、三種の神器の中でこれだけが未だに行方不明です。形代の中で、はですが。
恥ずかしながら今まで壇ノ浦で沈んだのは形代で本物は熱田神宮にある、ということは最近まで知りませんでした。
子供向けの漫画を読みますと大体「草薙剣だけが見つからなかった」という記述しかありませんし。
源平合戦後は新たな形代を作られ非常に大事に保管されているということです。

 

焼損や政変で巻き込まれることがあったとはいえ、今代まで残っているのは言葉で言い表せないくらい素晴らしいことです。
これからも代々受け継いで頂きたい宝物だと思います。

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